木下先生のネットで講座(第2回)「フリーター賛歌」とは何か大学の教員とくに女子大学の教員にあるまじき表現もあると思いますが、和田さん、池田さんのライフヒストリーと労働の現場のありさまを聞き取りするなかで、起こってきた気持ちを文字にしました。内容はいたって頭でっかちで政治的で臭い言葉です。もし使えるとするならば、自由に無断に加筆訂正してもらってけっこうです。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 30万円すぐよこせ、約束どおりすぐよこせ 30万円稼げると、言った会社は嘘つきか。 請負会社くそったれ、請負会社くそったれ 1日、8時間働いて、1月、23日働いて、手元にあるのは16万円 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「31万円可」を売り物にして雇い入れたのだから約束を守れというのは当然ですが、そもそも製造現場で働く請負・派遣の賃金は、どうあるべきなのかというです。私は年功賃金の否定論者でありますので、要求金額の根拠は年齢や家族数ではありません。仕事基準の賃金のあり方を考えていますので、要求根拠はあくまでもお二人の労働にもとづいています。その場合に、請負だから低賃金でしょうがない。製造現場の単調労働は低賃金で当たり前、という考え方は間違っています。きつい仕事、過酷な労働にはそれなりの報酬でむくいるべきだと思います。 「3K職場」と言われています。きつい、汚い、危険です。「きつい」、昔の製造業の現場は「高熱重筋労働」と呼ばれていました。お二人の職場は、真夏はとても高熱ですが、普段の労働は重筋です。毎日、10キロから60キロのギアに使うワークという金属を上げ下げします。10キロとはダンベルですが、60キロとなるとバーベルです。「きつい」労働に間違いありません。「危険」、その金属が落ちたりしたり、手を挟んだりしますので、危険職場です。すでに和田さんの指の一本は変形しています。それに「汚い」、二人の職場に漂う臭いは、これまで嗅いだいだことのないほどの悪臭だそうです。油が腐ったような臭いとのことです。 この三つにさらに二つが加わります。「騒音」です。職場は大きな金属を削るので、すさまじい騒音だそうです。お互いに怒鳴らないと会話ができないとのことです。あと一つは「単調労働」ということです。1年以上たっても、金属材に穴を開け、削り、磨くというたった1つの作業しかやらされてもらっていません。直ぐ辞めるだろうということを前提にしてその仕事しか覚えさせないのです。 アメリカの自動車工場の組立工も単調労働です。これに対して経営者は、ユニオンの強さもありますが、高賃金で報いました。日本の自動車工場は、内部昇進制という日本特有の出世の仕組みによって、やがて単調労働から脱出できるという期待を労働者に与えることで、過酷な単調労働に従事させました。したがって製造業の単調労働は高賃金でしかるべきなのです。 賃金水準は仕事に必要な知識・技能、きつさ・難易度、作業環境などで決められるべきです。それと同一労働同一賃金の原則です。正社員はお二人と同じ仕事をすることもあるし、正社員しかしない仕事もあります。期間工はまったく派遣労働者と同じですが、それでも約100万円ほど差があります。同じ仕事には同じ賃金を支払う。それがフェアというものであり、全世界で認められている大原則です。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 妻子を養うカネがない(男性)、養われるつもりは全くない(女性) 亭主関白くそったれ、亭主関白くそったれ 男に30万すぐよこせ、女に30万すぐよこせ、男と女で60万 結婚できる、子ができる −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ここのところは奇異に感じられる方もいると思います。「男は外で働き、女は家で家事をする」。少し前までは日本で当たり前のように思われた考えで、性別役割分担意識といいます。このような考えだと、男は妻子を養うのが当たり前、妻子を養うべきだとなります。そうなると妻子を養うだけの収入がない者は結婚できなくなります。 フリーターの未婚率は高いというデータがあります。また、フリーターだから結婚できないというフリーター自身の声も新聞などに出ています。妻子を養うという性別役割分業にとらわれて、結婚できないと思いこんでいるフリーターの若者は痛々しくもあります。それよりもフリーターカップルの方が清々しい感じがします。しかし、それにしても結婚はできても、子どもを育てることは非常に困難です。60万円あれば可能です。 内閣府『国民生活白書」』(05年版)は「フリーターの中心層が30代にかかり始めている」ことや、フリーター・カップルが「若年層(25〜34歳)の共働き世帯の4〜5%」の割合で存在していることを指摘しています。妻子を養うという考えを捨て、男女が対等に働くならば、低所得であっても結婚できます。そして収入を合わせて何とか生活していこうという考えで、フリーターも人生設計をする必要があると思います。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 政府にこの際、もの申す 子どもを養うカネよこせ、児童手当すぐよこせ 高速道路すぐやめろ、公営住宅すぐ建てろ 「小さな政府」くそったれ、「小さな政府」くそったれ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− しかし、それにしても増加するフリーターの状況を改善することがないならば、少子化は絶対に止められません。今、この国の政治をつかさどる者は国を危うくしているといっても言い過ぎではありません。土建国家とか企業中心社会とかで表現された日本社会が音を立てて崩れ落ちている感じがします。それならば競争万能主義で、「小さな政府」であるべきでなのでしょうか。 これまで日本は福祉国家ではなく、企業国家であるとされてきたのは、年功賃金と日本型雇用というやり方で会社が働く者の生活を支えてきたからです。正社員の採用をおさえ有期雇用を増やすという政策がその典型ですが、会社は従業員の生活を支えることから撤退しているのが現状です。 それならば、どこが、何によって、働く者の生活を支えるのでしょうか。フリーターのように会社に頼れない者が激増している今こそ、国の新しいあり方を考える時だと思います。公共事業や企業の競争力に税金を使うのではなく、働く者の福祉を充実させる方向、ヨーロッパような高い水準の福祉国家だろうと思います。 その場合、年金や医療が大切であることは言うまでもありませんが、日本の社会保障は、現役の勤労者や失業者の生活や労働に対して極めて低水準であったことを今、問題にしなければならないところです。たとえば児童手当のひとつをとってみてみても、子どもが2人いる場合、ドイツでは4万4000円(18歳まで所得制限無し)、日本は1万円(小学校6年まで、所得制限あり)です。 フリーターに求められている国の姿は、これまでの土建国家でもなく、現在進められている福祉を削減し、企業の競争力をつける方に予算をまわすような国家でもありません。若者や女性がそこそこ働いて、経済的に十分に自立できる生活を保障させるような新しい福祉国家が、フリーターの生活を保障する道だと思います。年功賃金・日本型雇用の恩恵にまったくあずからない若者や女性こそが、この福祉国家を確立する担い手だともいえます。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− フリーターはすばらしい、フリーターはフリーダム 会社に飼われる犬よりも、ドブネズミは美しい 鉄の鎖を食いちぎれ、フリーターはすばらしい 会社人間くそったれ、会社人間くそったれ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 会社に雇われている正社員がみんなダメだといっているのではありません。管理職でなくても、非正規社員を管理監督する社員がたくさんいるようになりました。何せ、男性若者(15歳から24歳)の42%、女性全体の52%が非正規社員という時代です。管理職や普通の社員が、非正規社員を監督する時、パワー・ハラスメントや、セクシュアル・ハラスメントをすることは十分にあり得ることです。彼らは「犬」です。また自分たちの賃金が保障され、上がるためには、非正規社員の賃金がどんなに安くても、どんな働き方をしていても、当たり前だと思っている正社員。彼らも「犬」です。 今年の春闘で、日本経団連の柴田昌治副会長は若者の意識についてこういっています。「忠誠心のある正社員が働いてくれるのが望ましい。経営者として心配なのはニートの存在だ。社会システムを立て直し、職業観をどうつくるか。将来を見据えた教育が大事だ」(朝日新聞、06年1月14日)。経営側として「忠誠心のある正社員」がいなくなりつつあることにうれえていることがうかがわれます。ここで、経営者がニートやフリーターの増大と、企業忠誠心のことを結びつけて考えていることは、とても重要だと思います。民間大企業の労働運動が、経営者に対等な関係でものをいうことがなくなったのは、企業忠誠心のあつい会社人間が登場したからです。 企業忠誠心も、自分の生活が会社に支えられていると実感できたから生まれたものです。この土台が崩壊しつつあります。企業忠誠心と無縁な労働者が膨大に形成され、労働運動の舞台に登場することによって日本の労働運動は新しく生まれ変わるでしょう。「ドブネズミは美しい」の言葉は、言うまでもなく、ブルーハーツの「リンダリンダ」からのものです。ドブネズミには鎖もないし、紐もない。自由に移動します。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− フリーターに職よこせ、まともな仕事をすぐよこせ、 生存権を主張する フリーターの生活を保障する義務、国にある 自己責任論くそったれ、自己責任論くそったれ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 次は生存権についてです。先ほどの日本経団連の副会長はつぎのようにもいっています。「(現在の日本のような)この程度の格差が当然だ。飢えて死ぬような人がたくさん出るのはいけないが、そこまでひどい格差ではない」。たくさんの人間が飢えて死ぬようなことになって始めて国の政策が発動されるという考えであり、生存権思想が確立していない19世紀型の経営者です。このような人が日本の中枢にいることをしっかりと自覚しておかなければなりません。 19世紀、資本主義が確立した時、膨大な貧困層と一部の裕福な者たちの極端な二極化社会でした。「飢えて死ぬような人がたくさん」出ました。医療保障も住宅も貧しく、義務教育も社会保障もありません。そのような状況に落とし込まれたのは自分の責任ではない。そう自覚した人たちが労働運動を進め、政府や経営者に改善を求めました。そうして長い歴史をへて、弱肉強食の資本主義社会のなかでも、国家は働く者の生活を改善し、雇用を保障する義務があるという生存権という考え方が確立しました。 フリーターが最低限の生活も成り立たないのは、自己責任によってではありません。国民は、憲法25条によって「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」をもち、27条によって「勤労の権利」をもち、国家は義務を有しています。若者たちのなかには、自己責任論によって、格差はしょうがないんだ、自分が悪いんだという考え方になってしまっている人もいるようです。それを払拭し、フリーターが生存権思想を獲得することによって日本の労働運動の流れは変わっていくだろうと思います。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− フリーターよ、つるんで生きよう 万国のフリーター、団結しよう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− つるむというのは、漢字で書くと「連」なんですね。「連帯」の「連」です。私は、15年くらい前に地域でつるんでまったり生きるという若者たちが出てきた時、日本社会の大きな転換だと感じました。それ以来、「連む」という言葉を気にしてきました。 そして「万国の」というとオーバーなようですが、若者の失業や不安定雇用は世界的な現象です。今年の春のフランスにおける若者の雇用をめぐる運動、昨年は、フランス各地で若者の暴動がありました。フランス暴動です。ヨーロッパの各地で若者の運動が起きているます。若者たちが新しい状況のなかで立ち上がった証拠です。 イタリアには、「プレカリアート」という言葉があり、運動があります。「プレカリティ」不安定性と、プロレタリアートを合わせた造語です。若者を中心にした不安定雇用の労働者のことをさします。 しかし、元祖・不安定雇用は日本です。これまで、ヨーロッパの労働市場は国家とユニオンの力によって強く規制され、不安定雇用労働者は極めて例外的でした。一方、日本は終身雇用制の正社員の雇用を保障するために、雇用の調節弁として不安定雇用労働者がたくさんいました。古くは、臨時工、社外工、季節工、パートタイマーなどでした。だから、不安定雇用労働者の元祖は日本なのであり、あえて、プレカリアートというカタカナを使う必要はないと私は思います。ただ雇用だけではないので、不安定雇用、不安定所得、不安定な社会保障、この3つを考えて、不安定労働者という言葉が適切でしょう。 しかし、プレカリアートという言葉には、ヨーロッパの若者たちが、自分たちの状況はグローバリゼーションと、ネオリベラリズムが原因だと自覚的に意識した内容がこめられています。それが、これまでの不安定労働者と違うと思っています。私は、こうしたヨーロッパの反グローバリゼーション、反ネオリベラリズムの運動に、日本の若者も合流しなければならない、そして今回の運動こそが、そういった全世界の若者の運動に合流するような運動になるのではないかと期待しているところです。 最後に「ガテン系」についてです。15年ほど前から、会社人間やサラリーマンよりもっと実感のある仕事をしたいという風潮が生まれてきました。小学校で調査をすると、男の子は大工さん、女の子はケーキ屋さんだったのです。それまで、「ガテン」系の仕事やブルーカラーに対して、非常に侮蔑的な眼差ししか日本の若者はしてこなかったし、そこで働く者たちは卑屈な感じでした。バブルが崩壊したときの建設現場で、若い職人さんがピンクのニッカポッカを履いているのを見てびっくりしました。胸を張って自分は「ガテン」職場で働いている、そういう若者を始めてみたからです。以来、「ガテン」という言葉はいいなと思っていました。「系」についてですが、ご存じのように、「アキバ系」、「シブヤ系」、「オタク系」という言葉があります。「系」という言葉は、言い換えれば、「族」という言葉になります。「族」には、「トライブtribe(部族)」という意味があって、サブカルチャーの小集団のことも言います。若者にもこういった言葉が通じるわけです。重要なのは、あるところを区切るということによって、仲間意識・連帯感が生まれるということです。「ガテン」というように区切って、そこで仲間、アソシエーションといった形で、連帯を強めていくことが重要ではないかと思います。 |
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